柄本明プロフィール
銀座木挽町の印刷屋に生まれた柄本は、実家の印刷業の不況から杉並区に移り生んだ。
柄本の両親は大の演劇好きで、昭和の役者の中では花柳章太郎やチャップリンといった主流ではなく、大矢市次郎やキートンを高く評価するような正真正銘の芝居好きだったらしい。
そんな演劇好きの両親の影響を受けてか小学生の柄本少年は一人で西武新宿線に乗り、二番館や三番館の映画館を巡っていたのだそう。
高校卒業後、一度は商社に就職した柄本だが、20歳の冬に早稲田小劇場で上演されていた鈴木忠志の芝居を見て衝撃を受ける。
これをきっかけに柄本はサラリーマンを辞め、大道具のアルバイトを始めることとなった。
大道具のアルバイトを続けていた柄本が俳優を始めるきっかけとなったのは、バイト先の劇団での串田和美と吉田日出子との出会いだった。
柄本は名門「自由劇場」に入団し俳優人生をスタートさせるが、3年で当劇団を退団してしまう。
自由劇場を退団した柄本は、同劇団で知り合ったベンガルと綾田俊樹とともに新しい芝居「くだらなくて、情けなくなるような芝居」を目指すようになる。
柄本明は1979年に『気分を出してもう一度』で映画初出演を果たした。劇団で着々と知名度を上げていた柄本明だが、1980年から『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の前身番組である 『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の時事コントコーナーへの出演を機に、その名前は全国区のものとなった。柄本は肝臓炎撲滅のために奮闘する医師・赤城風雨を熱演し、「報知映画賞最優秀主演男優賞」や「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞」などを受賞した。
柄本明の若い頃の写真が素敵
そんな柄本明さんの若い頃の写真が素敵と言われているようです!
柄本さんは、高校卒業後、就職されますが、会社の先輩に連れて行かれた、早稲田小劇場のお芝居に衝撃を受けられ、「このまま会社員なのか?」と考えるようになったそうで、会社を退職され、1967年、19歳の時に、金子信雄さんが主宰する劇団、「マールイ」に参加されています。
その後、NHKの大道具のバイトをされていた25歳の時に、劇団「自由劇場」の主宰者、串田和美さんに声をかけられ、俳優として本格的に舞台に立たれています。
1975年には、8本の舞台に立たれるなど、精力的に活動されましたが、同じ「自由劇場」に所属していた、佐藤B作さんが退団され、「東京ヴォードビルショー」の舞台に立たれているのを見て、衝撃を受けられたそうで、柄本さんも、コメディに目覚められ、1976年、28歳の時、「自由劇場」を退団。
そして、同年、笑いを中心にした、劇団「東京乾電池」を、ベンガルさん、綾田俊樹さんと共に結成。すると、瞬く間にブレイクされ、結成から2年で、「東京乾電池」のお芝居の人気は、不動のものとなるのでした。
さらに、1980年、32歳の時には、バラエティー番組「笑ってる場合ですよ!」に、東京乾電池として出演され、国民的な人気を博すことに。
柄本明さんは劇団で主演を演じる程でしたが当時はかなりのイケメンとして知られていたのではないでしょうか?
その後にお笑いの方にも進出していてこれは現在でも志村けんさんとのバカ殿様に出演している元となっていますよね。
この時の経験があったからこそ現在でも志村けんさんとのコントが出来るんだと思います。
柄本明のバカ殿様で大暴走
「柄本明は、現在大河ドラマの『西郷どん』(NHK)にも出演中です。俳優としてのイメージが強い柄本ですが、『バカ殿様』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)など、志村けんの番組にはよく出演し、さまざまなコントにも挑戦しています」
志村けんもバカ殿の柄本明に爆笑
柄本明は大昔ですが、東京乾電池なる劇団の座長でした。その劇団はコントの類を行う“お笑い劇団”でしたので、彼のコントは筋金入りと言えるでしょう。でも柄本は、コントは志村けん以外は演じない、と言う意志を持っているとの事です。
柄本明がバカ殿でプリンの食べ方がおかしい
バカ殿さまに出演した柄本明さんのプリンの食べ方がおかしいと話題になりました!
この日の放送に、柄本は医者役として登場。志村けん(68)演じるバカ殿の家老が体調不良になり、柄本ふんする医者が城に呼ばれた。
やってきた柄本は、家老の病状を調べるため、触診を開始。家老の着物をはだけさせると、いきなり胸を揉み始め、しまいには胸毛をむしり始める。そんな柄本の奇行を見たバカ殿は、思わず「おい、先生!」「何が分かるんだ!?」とツッコミ。
その後、診察を続けた柄本は、家老の病気は“風邪”だと断定。「このままにしたら命にかかわる病になるかもしれません」「とりあえず温かいものを用意していただきましょう」とバカ殿に命じる。
続けて柄本は「温かいごはん、温かいうどん、温かい冷やしトマト、そして納豆、卵、プリン、マヨネーズもつけて!」と要求。家臣が食材を運んでくると、柄本はそれらをすべて混ぜ合わせ、おもむろに自分で食べ始める。
食材は事前に用意されていたことから柄本明さんが考えたコントなんでしょうね。柄本明さんはこのように志村けんさんと演じるときには何度も暴走していてそれがいつものお決まりのパターンとなっています。
逆に言うといつも決まったパターンということになるんですがそれでも視聴者の評判はかなりいいようですね!
志村けんさんもある程度は柄本明さんとのコントでは先が読めているような気がします。これは長年二人が組んできたからこその経験がなせる技なんだと思いました。
今後も二人のコントが見れるように期待したいですね!
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